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SS / やさしい時間とあなたがそこにあればいいの





 心地良い騒がしさ、とでも言えば良いだろうか。
「ねーねー、千早おねーちゃーん、今度は亜美のダンスも見てよ→!」
「あ、亜美ずるいー。真美も見せるのー!」
 病院で騒ぐなんてもっての他なんだろうけれど、わざわざプロデューサーが個室まで用意してくれた好意に甘えることにした。頷くと、それこそ元気一杯という言葉がピッタリに二人が踊りだす。真っ白い部屋がガチャガチャとした原色に塗り潰されてゆくような感覚。体がリズムを勝手に刻んでいく。歌いたくなる。
 思わず口が言葉を形作るところまでいって、反応しない私の声にそのまま目の前の双子まで止まってしまう。
「千早おねーちゃん、やっぱりその、声出ない?」
 真美が訊ねる。絵の具をぶちまけた様な色がまた白色に侵され、いつもの部屋に戻る。首を縦に振り、彼女達のせっかくのステージを壊してしまった非礼を手で示す。ぶんぶんと、必死に首を横に振る亜美。
どうしてこう私は場を悪くしてしまうのだろうか。口角を上げることで出来る笑みで果たして、どこまで二人を誤魔化せるだろう。それでも、すぐに話題を変えて場を明るくしてくれる亜美真美に感謝する。
 そう、私は色々な人の協力の上で成り立っている。声の出ない、何もない私がここにいられるのも。


1.亜美と真美、真、あずさ、律子、そしてあなた


 しばらくして病室の扉が開き、律子が顔を出す。視線を向けると、律子は僅かに言葉を選ぶように目を泳がせ、「元気?」と口を開いた。私はまた頷く。
「亜美真美は何か悪さでもしてない?」
 少し暴れ疲れたのか、お見舞い品のフルーツを吟味していた二人は「ちょっと、ちょっとちょっと」と律子につっかかる。「古いわね」と返す律子は、手から下げていた紙袋を私に手渡した。中を見ると、パジャマやハブラシなどの私物が入っていた。
「悪いけどバッグの中、物色させて貰ったわ。隙が無いというか色気が無いというか」
 律子はベッドの横にある丸イスに腰掛け、亜美真美が食べたいと騒ぐリンゴを代わりに剥いている。
憎まれ口を叩くその時も、問うべきか否かを迷う彼女の逡巡が見て取れた。彼女はその態度とは裏腹に凄くやさしい心の持ち主だ。
 ウサギを模して切られたリンゴが、亜美の大きな開けた口の中に放り込まれる。リンゴの殆どが亜美と真美のものになっているが別にそれは気にならない。むしろ、多少なりとも自分に食欲があったことに安心した。
 律子はメモと呼ぶには随分と分厚いノートを広げ、ここ最近の事務所の活動を話してくれた。あの一件も、一週間も過ぎれば既に耳に遠い話になっている。それだけこの国の人は忙しなく、自分達アイドルはただの消耗品にしか過ぎないことを痛感する。
 気づけば両隣をウトウトと舟をこぐ双子に挟まれた律子がノートを閉じ、私を見つめていた。
「少し痩せた?」
 首をほんの少し縦に揺らす。元々が節くれのような体なのだ。今更と開き直るも、それを伝えるだけの言葉すら私には用意できない。少しだけ間延びした空気がとても間抜けで、少し湿り気を帯びていた。
窓から覗く空は雲ひとつ無い青空。街の喧騒も遠いのに妙にザワザワとしたものが胸中をぐらつかせていた。
 あずささんが部屋に入ってきたのは、それから10分もした頃だった。ドアの辺りで不安そうに、しきりに表のネームプレートを確認し、私の顔を認めたところでようやく彼女に笑顔が戻った。おそらくいつものように病院内を迷っていたのだろう。私が思わずフフッと笑みを作ると、「もぉっ」と、困ったように顔を赤らめながら声を上げた。
「亜美ちゃんや真美ちゃんはともかく、律子ちゃんまでおねむになっちゃうなんてね~」
 あずささんが来るまでの間、微妙な沈黙が続くかと思っていたけれど、双子の気にでも当てられたのか、急な眠気に抗することなく律子はソファに二人を従えて眠りについていた。
「プロデューサーさんもそうだけど、律子ちゃん。本当、色んなところに駆け回ってくれてたからぁ。昨日も殆ど寝ないで」
 意図的に、とは思ってはいないものの、どうしたって意識しないようにしているあの人、プロデューサーを思い浮かべ、私はどういう顔をしたら良いか分からないという顔をする。
「そういう顔をしちゃダメ。前も言ったけど、全部貴方の為に皆が動いてるの。それに対して千早ちゃんが罪悪感とか、お節介を感じてしまってはお互いの為にならないわ」
 笑みを湛えたままのその口ぶりは普段、のんびりとした彼女には不似合いなぐらい手厳しい。けれど、今回の騒動を通して、その本質とのギャップに驚かされた一番の人かもしれない。それぐらい、あずささんは自分にも他人にも厳しい人だ。いや、自惚れになってしまうが、先のある人間に対しては、というのを付け加えた方が良いのかもしれない。
 お見舞い用に飾られた花を取り替える最中も、あずささんは今の事務所のこと、これからのことなどを私に話してくれた。その大半は律子の報告してくれたことと被ってはいたが、裏方に徹してくれている律子とは違い、華々しい世界に身を置いている彼女の話もまた、興味深かった。
「当然だけど、悪いことを言ってる人はいるわねぇ。でも、そこまで悲観的になることでもないし、千早ちゃんが早く帰ってくるのを待つ人も多いのを忘れないでね」
 あずささんの言葉に頷く。私がその歌声を閉じた日。客観的に見れば、私はただ失敗を犯しただけ。私の責任であり、誰も悪くない。その行為に後ろ指を指される事も芸能界にいる以上は耐えなければならないこと。
 けど、私はなぜだか耐えられなかった。
 何かを言おうとあずささんが口を開く間際、バタバタとした足音がこちらに近づき、引き戸になっている病室のドアが勢い良く開く。あんまりにも勢いが良すぎたのか、ドン、と音を鳴らすドアに自分でビックリしている真が顔を出した。
「んー、なになにぃ? 兄cでも来たのぉ?」
 律子にくっついて眠っていた真美が顔を上げる。
「真ちゃん」
「あ、その、ごめんなさい」
 あずささんが一瞥をくれると、慌てて頭を下げる真。確かに彼女の行為は褒められたものではないが、汗も構わず息を切らして来たその姿では更に責め立てるなんて真似は出来ない。寝ぼけ眼で真に引っ付く真美を連れながら、あずささんの隣に来た。
「千早、大丈夫? その……こえ」
 何も用意してなかったが窺い知れる言葉。だからこそ、私は真のことが好きなのかもしれない。
 首を横に振る。それで更に慌てふためく真に今度はおかしくなってつい噴き出してしまう。いい加減、頭も冴えてきた真美とあずささんも笑い出し、ハテナを飛ばしながらも頬を膨らませる真。その騒がしさは律子と亜美も起きて、看護婦さんに注意されるまで続いた。
 楽しい時間は例のごとく、あっという間に日を傾かせる。目を差すほどの真っ赤な太陽に律子は「そろそろ面会時間も過ぎるし、私達は戻るわ」と、携帯電話を取り出すと、病院だということを思い出したのか、少し首を傾げながら元に戻した。
「え→? もうちょっと千早お姉ちゃんと喋ってたいよー!」
「でもでもー、面会時間があるんだよ亜美ー?」
「そんなのウチの病院なんだからどうにでもなるよ真美ー」
「おっ、白いキョウトウ的なアレですなー? 亜美もなかなかのワルよの→」
 チマチマとした可愛らしい悪巧みも、真が二人の首根っこを掴んで部屋から退場させてしまう。廊下から響く二人の声に、苦笑いというか。
「でも安心したわ。千早ちゃん、すっごく柔らかくなってて」
 ふいにあずささんから言われて視線を向けると、「表情」と、両頬に人差し指を添えて微笑む彼女。隣では同じように頷く律子に私は少しだけ困惑する。声という意思表示が出来ない今、せめて周囲の人に迷惑がかからないようにと努力しただけのもの。別に私の中で変わったものなど無いはずだけれど、ということも伝わればどんなにか楽なのだろう。
「あ、別に声が出ない方が良いって訳でもないのよぉ」
 声が出なくなって、どうにも私はこの手の反応に困ってしまう。なにより、喋れた時よりも人とコミュニケーションが取れていることに驚いている。驚いて、それほどまでに私は人との付き合いが下手なのかと自責の念を強めたのだが、同時に私はある種の理解をし始めていた。

 もっと、色んな感情を出して良いんだ。


 窓の外はすっかり夜の帳を下ろし、見事なまでの月光が病室を照らしていた。月の光は好きだ。必要最低限のものだけを照らしてくれる。いつだったか、私は月の子だと社長に言われた気がする。その時は単にアルコールで機嫌を良くした勢いでの発言かと思っていたが、今もこうして月を眺めているとゆっくりと、私の体が夜の色に溶け込んでいくような感覚に陥る。
「千早」
 ふいにプロデューサーに呼ばれた気がして、飛び気味だった意識を戻す。顔を病室へ戻すと、確かにそこにはプロデューサーがいた。なぜ、どうしてという感情。暗闇はそういう感情を伝えやすいのか、「亜美真美の病院だからな。親御さんに頭を下げたんだよ」と、隣の丸イスに腰掛けた彼。先ほどまで各所を奔走していたのか、僅かに熱気を放つプロデューサーは私の頭に手を伸ばす。
 なぜか叩かれるのではないかという判断が体を強張らせる。そう、それをされるだけの失敗を、責任を彼に被せているのに、それなのに。
「ごめんな」
 優しく撫でられる私の頭。彼の手の大きさを感じて、感じて。
 涙が出た。声と共に出なくなったと思っていたものが溢れ、ショーツを握り締める手にポツポツと雫を落とす。声にならない嗚咽が夜の暗闇に響く。歪む光景の中でプロデューサーは笑っている。
 なんて柔らかくて、暖かい夜なのだろう。




/2


 もうすっかり肌寒くなってきたというのに、起きる度に寝汗ではりつくパジャマが気持ち悪かった。
 顔にかかる髪をかきあげながら、視線を横に向ける。私を見下ろすのはプロデューサー。べたついた顔をあまり触らせたくなかったけれど、なぜか彼が撫で上げるとそこだけはサラリとした心地良さが頬から伝わってくる。また少しだけ目を瞑る。張り詰めていた糸がもう切れてしまった私は、瞼の裏に緩やかな曲線を浮かべる光の中でまた眠りに落ちた。


2.あなたと真と伊織、そして美希


 また目覚めた時には伊織が私を見下ろしていた。
「あ、やっと起きたわね」
 ふん、と鼻を鳴らした彼女の傍に真が寄ってくる。寝そべったまま顔を横に向けると、ソファに座って俯いている美希がいた。
「ほら、アンタも来なさいよ」
 呼ばれ、顔を上げた美希を見て少しだけ心臓が高鳴る。途端に、フラッシュバックする光景に眩暈を感じた。反射的に瞼を閉じることで記憶はすぐに引っ込んでくれたけれど、なによりもそれは逃げにしかならないことを私自身が強く感じていた。
 なかなかソファから腰を上げない美希に伊織がズカズカと近づく。「ああもうっ」と、美希の腕をムリヤリ引っ張り上げると、あんな細い体にどんな力が詰まっているのだろうか。私の目の前に美希を連れてくる。
「言わなきゃいけないことあるんでしょっ? さっさと言いなさいよね!」
 ある意味で沸点を超えてしまっている彼女を止める術は無い。先ほどから苦笑いを浮かべている真からしてここまでの道中、何が起こったのか考えるに難くない。まだウジウジとしている美希に、私はゆっくりと、ぎこちなくならないように笑みを浮かべる。果たして上手に笑っていられるだろうか。そんな自身の心配をよそに、私はカメラを向けられた時と同様の笑みを作った。
 なんとも言えない間が開いて、意を決したように美希は勢い良く頭を下げる。ごめんなさいっ、と響く声に、伊織は腕を組んでそっぽを向き、真は頬をかきながら苦笑いを続けている。相変わらず、良い意味で変わらない二人がいて、今度はちゃんと本心から笑うことが出来た。
「ホントにごめんなさいっ、あのねっ。美希、ただ千早さんよりもすごくなりたいって思ってただけでその……!」
 ベッドから上半身だけを起こすと、途端に美希が私にしがみつく。耳元でワンワンと泣きながら訴える彼女に、やっぱり残った二人は予想通りの反応だった。私もまた眉を下げて笑うと、今度は目の前の二人がニッコリと笑った。耳がキンキンとしてきたけど、もう少しだけそのままにさせてあげよう。
「ほら、いい加減、離れなさいよっ」
 イヤイヤと暴れる美希を結局、伊織と真の二人がかりで引き離す。もうすっかりいつもの調子に戻った美希につっかかる伊織とそれを宥める真。これで大声で笑えたら何と気持ちが良いのだろう。
 思い切って口を開けてみる。腹部を意識して動かして、それでもやっぱり出ない声が空しくて、必死に方を揺らす私にいつの間にか三人の視線が集中していた。窓から見える空は少しだけ夕日に染まり赤くて綺麗で、ぼやける太陽はけしてこの涙のせいではないのだと誤魔化しながら私は思った。


 ああ、やっと、やっとあの人以外の前で泣けた。


 泣いただけなのに、いきなり襲ってくる疲労感に瞼が重くなる。ただ単純に寝すぎなのだろうけれど、今まで眠ってこなかった私の体がその分を取り返そうとしているように感じた。
 しばらくぼんやりとした頭で雑談していると、コンコンと、ノックがして開いた扉からプロデューサーが顔を出す。途端に「遅いー!」と、指差す三人にプロデューサーは頭を掻いて笑った。
「仕方ないだろ。これでも忙しいんだから」
 手から提げたビニール袋から人数分のジュースを取り出したプロデューサーが私達に配る。最後に私に手渡してくれたミルクティーはなんだからズシリと重くて、けして運動不足ではない何かを最近は感じるようになっていた。多分、私の思い過ごしなのだろうけれど、彼の笑う横顔を見て抱く気持ちに嘘偽りが無いことを今ならハッキリと、喋れもしないからこそ言える気がした。
「それじゃあ悪いけど俺はもう行くよ」
 腕時計を一瞥して踵を返そうとする彼に、伊織と真がブーブーと文句を垂れる。鬼、悪魔なんて罵声の中、美希がプロデューサーの手を取った。
「どうした、美希」
「ダメ。ダメなの」
 ここからでは美希の後頭部しか見えないけれど、プロデューサーの返す瞳に、けして普段の彼女からはあまり見られない真剣さを受け取ったのだろう。一つ、息を吐いてから彼は私の目の前まで来てくれたけれど、ここまできて自分の顔が気になった。ひとしきり泣いた後で鏡を見なくても目が腫れている事は分かっていた。慌てて隠そうと腕を上げる私に、プロデューサーはポンと、私の頭に手を置いた。
「良かったな」
 たった一言。そう言って彼は帰った。しきりに首を傾げる伊織と真だったけれど、黒井社長を待たせてるからと帰ろうとする美希もまた、「やっぱり千早さんにはまだまだ敵わないの」と、とびきりの笑顔を見せて病室から出て行った。笑みを返す私に真は、なんかズルイ、と口を尖らせた。


 夜に一度、私は目覚める癖が出来た。悪夢とも言うべき夢を毎晩のように見て、汗びっしょりで起きる。けれど、その日は何も夢を見ることなく私は目を覚ました。
 月が綺麗だった。月の光を浴びようとベッドから抜ける。窓際に体を預け、頬を撫でる風に、ここ最近、忘れていた外の心地良さを思い出す。
 自然と口が歌を紡いでいた。青い鳥。私の一番好きな歌。眠っている人には申し訳ないと思うけれど、久方ぶりに外に飛び出した声は、言葉は、歌はとても止められそうになかった。


 あの空で歌を歌う
 未来に向かって


 ふと、あの日、堕ちた私の傍に立っていた少女が頭を掠める。あの太陽を思わせる笑顔が絶望に包まれていく。悪夢の終わりはいつもそこ。けれど、私は夢から解き放たれた。


 あなたを愛してた
 でも前だけをみつめてく


 じゃあ、彼女(ハルカ)は?




/3


 朝にはまた声が出なくなっていた。けれど、焦りや悲しみという感情の色は思ったよりも薄く、看護士の方からしきりに昨日の歌声について聞かれる事が少しうざったく感じたくらいだった。
 面会時間になるとプロデューサーが顔を出してくれた。やっと一段落ついたという彼の仕事は、その殆どが私に関してのこと。プロデューサーだからと細めるその眼が、疲労で落ち窪んで見えるのには素直に罪悪感を覚えた。話さずとも分かるとは傲慢だろうか、それでも私の頭を優しく撫でてくれる彼の思いがじんわりと、湯船に体を浸した時のような暖かさが緩やかに私を包み込む。
 悪い夢は見ない。ただ声が出なくなった、ちょっと歌の得意な鸚鵡。真っ白い病室は心地良い檻で、味をしめた鳥に待つのは羽をもがれるその瞬間。今の自分を悲観的に評するのはこの程度だろうか。
 けれど。そう思い留めて窓から見上げる空はどこまでも高くて、いつの間にか丸イスの上で器用に船を漕ぐ彼に合わせて、私はゆっくりと瞼を閉じた。


3.美希と雪歩とやよい、あなた


 すっかり意識を落とした彼と共にぼんやりと空を眺めていた私のもとに美希と雪歩とやよいがやってきた。それぞれ手には思い思いのお見舞いの品。特にやよいが弟妹と一緒に描いたという似顔絵が私は気に入った。
「早くまた、千早さんの歌が聞きたいってうちの弟達も言ってましたっ」
 息巻くやよいの背後で雪歩もうんうんと頷いている。二人は確かドラマの撮影で忙しいはずだ。それでも二人から向けられる視線を受け取ると、今更、気にするべきことでもないことと思い直す。
 しばらくやよいが近況について喋っている間、美希はプロデューサーと何かを話し合っていた。もう移籍を済ませたといっても、未だ美希は765事務所とは縁深い人間だ。なにより今回、私を蹴落とした張本人として、既に一人歩きした悪役(ヒール)のイメージは果たして、彼女にどれだけの負担を強いているのだろう。私がただ勝手に堕ちていったあの場面で、被らざるをえない役割を正面から受けとめた彼女。今も多くのファンを魅了するその笑顔も、一体どれほどの敵意と相対しているのだろうか。だからこそ彼女のスター性というものが垣間見れる気がした。
 そんなことを悠長にも思っていると、プロデューサーは携帯片手に病室から出て行く。閉じた扉の向こうから、看護士が彼の携帯電話を注意している声が聞こえる。
「千早さん!」
 やよいと雪歩の間から美希がこちらに飛びついてきた。結構、勢い良く抱きつかれてベッドに押し戻される。雪歩が「美希ちゃん」と慌てているが、存外、人の重みに心地良さを覚えていた。彼女の頭に腕を回し、胸の中へ抱きとめる。胸に擦りつける様に動いていた首がピタリと止まり、そのまま動かなくなる美希。やれやれといった顔を見せる雪歩に、少し羨ましそうに見ているやよい。少しだけ震える美希の体をしっかりと抱きとめ、胸の辺りに感じる湿っぽさごと私は包み込むことにした。
 この子も泣きたかったんだな。震えがそのまま寝息へと変わるまで、美希は普通の女の子だった。

「千早さん。今度は美希がちゃんと千早さんを追い抜くの」
 途中で顔を見せた961プロの社長と共に美希は帰っていった。どうやら私に関しては961プロ側も引け目を感じていたらしく、直接、頭を下げてきた黒井社長に私は好感を覚える。この人なら美希を任せても大丈夫。思わずやよいと雪歩とで交わされた視線に笑みが零れた。
「春香さんはその、まだ来ていないですか?」
 雪歩が切ったリンゴを頬張りながらやよいが訊ねてくる。その話題とは別に、片方の頬を膨らませるやよいの顔は、まるでハムスターのような可愛さを感じる。思わず頭を撫でると、「ちゃんと聞いてくださいっ」と、叱られてしまった。
「春香ちゃん、事務所にも来てない状態で」
 そう言って俯く雪歩。湯飲みを持った両手に僅かに力を込め、ゆらゆらと揺れる薄緑の水面をじっと見つめている。
「春香さん、やっぱり抱え込んじゃってると思うんです。その、千早さんのこと」
 やよいの言葉に、久々にあの時のことが頭を過ぎる。それでも、以前ほどにはその光景を私は記録の一部として見れるだけの余裕が戻っていた。むしろ崩れる私よりも、印象に残るのはその様子をただ呆然と見ることしか出来ない春香。自身の無力さに打ちひしがれるあの子。
 春香のことは、意図的でないしにしろプロデューサーとの話題にのぼることはなかった。その時はまだお互い、自分のことで手一杯だったこともあるし、なにより春香ならという安易な希望を彼女に抱いていたのかもしれない。
 お茶を足そうと急須に手を伸ばしながら雪歩が口を開く。
「その、私が言うのもなんなんだけど、春香ちゃんってすごく背負う人だから。笑ってまだ大丈夫って自分に言って、言い続けて。どうしようもなくなっても他の人の手を極力借りず、ボロボロになっても笑おうとする、というか。……ごめんなさい。言い過ぎました」
 自分で言っていて辛くなったのだろう。けれど、それはとても春香の一面を的確に表現したものだと思った。
 窓の外を見る。すっかり秋めいてきたとはいえ、今日のように太陽の高い日はまだまだ汗ばむ時も多い。はたして春香もまたこんな気持ちの良い空を眺めているのだろうか。
 どうしたら良いか、という言葉を飲み込むようにやよいと雪歩はそれきり、春香の話題を止めてしまう。それが二人の出来る精一杯の行動だということに、私は微笑ましさすら覚えた。そう、誰もが優しいから悩んでいるのだ。
 春香、空はとっても綺麗よ。


 夜になるとまた声が戻っていた。私は惜しげもなくそれを歌の為に費やす。プロデューサーに弟のことを明かして以来、私の中の歌への歪んだ感情は少しずつだけれど薄れていった。けれど、それでも私には歌しかないのだという自覚が縛りつける。縛りつけて、それにある種の心地良さを感じ始めているのも私の変化なのだろう。制限の無い人間はあまりに心許ないのだと、そう学んだ気がしてならない。
「贅沢な夜だな」
 もう夜に来ることが日課のようになっているプロデューサーが、窓際の壁に寄りかかりながら私の歌を聞いてくれていた。
 何も考えずに歌う。ただ月の光を頼りにステージも何でもなく、歌をただ楽しみたいという気持ちのまま口ずさんでいる。
「もうお前は大丈夫みたいだな」
 昼には声が出ないというのにアッサリとそんなことを言う彼に、歌の最中だというのに噴出してしまう。どうして笑ってしまうのか、なんて以前の私が烈火のように私の頭の隅で怒鳴りつけるけれど、私はただその子の頭を撫でただけだった。
 それよりも、と思考はすぐに別の場所へ行ってしまう。確かにプロデューサーの言うとおり、私はもう大丈夫なのかもしれない。私の想像の中でうずくっている春香に、私はただ突っ立って見守っていることしか出来ないから。
 プロデューサーはゆっくりと背中を預けていた壁から体を離すと、私に近づいて頭を撫でてくれた。少しだけ熱を帯びる体を下品だと思う反面、自分の中で処理しきれない感情に新鮮な気持ちになってくる。
 彼を見上げる。彼の目には私はどう映っているだろうか。そんなくだらないことを考えながら、プロデューサーは口を開いた。

「春香に、歌ってくれないか」


/4




4.みんなとあなた、春香へ



ねえねえ兄c、亜美の服、変じゃない→?

亜美ばっかりずるいー。真美のも見てよ→

うぅぅ、やっぱり私、千早ちゃんと一緒に歌うなんて

なによ雪歩ここまで来て。あの変態大人がどうしてもって頼んできたんだから、こっちはただ胸張って歌えばいいのよっ

あら、アンタにしては珍しく良いこと言うじゃない

珍しくは余計よ

うっうー、弟達、来てるかなー

そうよぉ雪歩ちゃん。なにより春香ちゃんの為なんですもの。いつも春香ちゃんから貰ってる元気を、今日は分けてあげなくちゃ

あふぅ、なんだか眠くなってきちゃったの

いくらなんでもリラックスしすぎだよ美希

そうだよミキミキー。デラックスしすぎだよー

いや、アンタら二人もね

そ、そうですよね。こんなダメダメで貧相な私でもっ、ミスミスミスタードリドリラー!

そ、それって何?

ふぇ? あ、その、ただ掛け声っていうか

へえ。でもボクならもっと可愛い感じで例えばきゃぴ

いや、アンタはいいから

えー!?

イヤ→、まこちんのアレはキョーレツデスカラナ→

デスカラナ→

うぅ、ボクも穴掘って埋まりたくなってきた

あ、真ちゃん。なら私のスコップでも

あらあら良いわねぇ。私も一つ掘ろうかしら

私もじゃあ一緒に掘りますっ

うん。なんかそれ違うと思うな

み、美希がツッコミを入れたわ

いや、それ驚くとこ違うから

あ、あずささんもどうぞ

いや、雪歩、本当に渡そうとしなくて良いから。というかそのスコップはいつも持ってるの?

お前らなあ。もうちょっと緊張感ってものを持てよ

あ、プロデューサー! おはようございますー!

うん、やよい、おはよう。

あら、その言葉、プロデューサー殿にそっくりそのままお返ししますが?

そーだそーだ→。この遅刻魔ー

ロリコン→

あらあらぁ、プロデューサーさんはロリコンさん、なんですか?

泣くぞ

ま、この変態がロリコンだってことはさておいて、ちゃんと準備は出来てるんでしょうね?

ああ。ほら、千早

よかったー。千早がちゃんと来れるか、ボク達、すっごい気になってたから

うん、春香ちゃんを元気づけられるのは、やっぱり千早ちゃんだと思う

それにしてもこんな会場を貸切なんて。よく社長もOKしたもんね

ん、まあ日ごろからのお前らへの恩返しってところかな

なにそれ→?

あ、しかも兄c、赤くなっておりますぞ→

あふぅ、やっぱり眠いの

なんか色々ぶち壊しだけど、期待はしてるぞ

ま、そこらへんは任せときなさいよ。伊織ちゃんの超絶的な可愛さで

そういえば千早、喋ってないけどまだその、声は

ちょっと最後まで聞きなさいよ!

ああうん。実は戻ってない

えー!?

あらあらぁ

まあでも、何とかなるさ

ああ。なんか私、今更ながら眩暈が

し、しっかりしてください律子さんっ

そうです! 私も弟達の前でちゃんと歌えるか分からないけど、でもいっしょうけんめい頑張ります!

うん、ミキは何とか出来ると思うな

ボクも父さんの前だけど、皆となら出来そうな気がします!

うんうん、だって亜美達は

仲間だもんげ!

お前ら、それ気に入ってるだろ

へへへ→

あと少しで始まりますけどぉ、千早ちゃんは大丈夫なんですか?

まあぶっつけですが、何とかするでしょう千早も

ずいぶんと信頼してるのね

お前達もな

ふんっ、アンタなんかに言われなくても堂々と決めてやるわよ。それこそ春香が今すぐ歌いだしたくなるぐらいね

うん、頑張ろうね! 伊織ちゃん!

それじゃ、気合も乗ったところで、さっさとあの万年リボンを叩き起こしてくれ。いつまでもうつむいてる暇はないぞってな

そうね。うちの看板アイドルがあんなんじゃこっちも仕事にならないし

へっへー、ジャンジャンバリバリいっくぞー!

うっうー! 頑張りまーす!

わ、私も春香ちゃんのために頑張りますっ

亜美も頑張るよ→

真美も→

まだ春香にはミキのライバルでいてほしいし、ミキも頑張るよ

あらあらぁ、皆すごいのねぇ

そんなこと言って、あずさだって舞台に立てば凄いじゃない

ふふふ、どうかしらねぇ

うん。それじゃ千早、行ってこい。そんで、全部ぶつけてこい





 背中を押され、私は頼もしき仲間たちと共にステージへと飛び出していく。

 誰も肩を貸す者などいない。仲間といえど、そんな甘い関係は舞台に立てば枷になることを知っているのだ。

 誰よりも輝いてみせる。だからこそ皆が皆、アイドルとして輝くのだ。

 アイドルの家族だけが見守る特別なステージ。私の両親はいない。ほんの少しの迷いは、私にまだ成長する伸びしろを感じさせる。それほどに貪欲であることを今は誇りに思おう。

 観客席にポツンと、家族達から離れて座っている少女が見える。いつもの笑顔も、輝きもないあの子。どれほどに私は周囲の人間に、あの子に助けられたのだろう。だから、今度は私が手を差し伸べる番。

 息を肺一杯に吸い込むと、歌が高らかに口から飛び出した。一瞬、仲間達と目をかわし、一段と力がこみ上げてくる。そう、ここはとても厳しいけれど、それ以上の歓びで満ちている。



 春香、また一緒に空を見ましょう。それは同じ空ではないかもしれないけど、きっと綺麗に違いないわ。



/おわり

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