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SS / 空の欠片 -Good Morning to -







おはよう。新しくうまれたあなたに。


空の欠片 -Good Morning to -


 今日、26日のお天気は―――

 レッスンスタジオへ向かう途中、タクシーのラジオから今日一日、東京の空は曇りのままと知った。私はさして気にせずに、先ほど作曲家の方から渡されたばかりの楽譜へと目を落とす。歌手としてある程度の展望が見えてきた私に天候のことなんてどうでもよかった。おそらく今日もスタジオに篭りきりになるだろう。遅々として進まないタクシーに焦りだけが募っていった。

 スタジオに続くドアを開けると講師の歌田音さんが既にピアノの前で待っていた。遅れたことに頭を下げると、「忙しい時は仕方ないわ」とそのままピアノの椅子に座る。彼女は指を鍵盤の上に落とし一音だけ鳴らした。私もまた部屋の隅に荷物を置いてレッスンへと頭と心を切り替えた。

「手放しで褒めるわけにはいかないんだけど、とても素晴らしいわ。如月さん」

 ニコリと、笑みを浮かべる歌田さんに、ペットボトルから口を離した私もまた笑みを返した。どこか春香を思わせるその笑顔は彼女の美徳だと思う。もっと他にいるだろうという周囲の言葉も気にせず、デビュー前からこの人を師事している私は単なる頑固なのだろうか。もうひと頑張りする? と聞いてくる彼女に、私は一度だけ頷いた。
 レッスンを終えた後は部屋の外にあるソファに座って、しばらく話をする。今度の新曲のこと、事務所のこと、歌だけに心を閉ざしていた時もこうして緩やかな時間を過ごしてきた。ついぞ私のプライベートにはつっこんでこなかったけれど、私を救ってくれた一人だと思う。

「そういえば昨日、如月さんのお誕生日だったのよね」

 歌田さんの言葉に頬が少し熱くなる。俯く私に、彼女は不思議そうに小首をかしげた。昨日は765プロの皆が祝ってくれたのだけれど、いくらなんでもあれはやりすぎだと思う。いやそんなことは今は関係ない。

「私も行きたかったんだけど時間が合わなくて。ごめんなさいね」

 そう言って「一日遅れだけど」と、歌田さんはリボンでラッピングされた小さな箱を渡してくる。私はどこかくすぐったい感覚を覚えながらもそれを受け取った。
「ハッピーバースデーぐらいは歌ってあげれば良かったかしらね」
 もう歌ってもらいましたから、なんて生意気だろうか。それでも私にとって昨日の春香とプロデューサーの歌で十分過ぎるぐらいだった。そんな微妙な感情まで伝わったのか、歌田さんは「ま、今回はいいかしらね」と続ける。

「だって、とてもスッキリした顔してるもの」

 先ほどの笑みとはまた違った意味合いを持った、ニヤニヤとした笑顔。それでも私は「はい」と頷くと、それはそれで少し悔しいと歌田さんは可愛らしく口を尖らせる。途端に噴出してしまう私。歌田さんも笑って、それで十分な時間が流れた。
 ひとしきり笑った後、ペットボトルの水を飲み干した私に歌田さんの方から口を開いた。

「……誕生日の歌ってあるじゃない」
「ハッピーバースデートゥーユーですか?」

 私が返すと「うん、それね」と歌田さんは続ける。

「もとは『Good Morning to All』っていう曲なの。知ってたかしら?」

 首を横に振る。元となった曲があるのは聞いていたけれど題名までは知らなかった。

「要はおはようの歌なんだけど。その話を聞いておはようであると同時に、新しい貴方におはようっていう歌に私は思えてね。新しく生まれた貴方におはよう、って」

「そう、ですか」
「ええ。おめでとう、そしておはよう」

 ふいに昨日の歌を思い出す。心を閉ざしていた頃よりもすっかり泣き虫になった私は堪えようと口をつぐむ。それでもぽろぽろとこぼれるそれは、あの頃の私が私自身に伝えたかったものの一部のよう思えて。
 包まれる感覚に、歌田さんに抱きしめられていると理解する。頭上からは聞きなれた優しい声が響く。

「ずっと言えなかったわ。前の貴方に言うのはとても恐かったから、貴方の先生なのにね……だけど貴方は変わってくれて。やっと言える」



 おめでとう千早ちゃん。そしておはよう。


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