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彩りのまえに 1





 厳(いかめ)しい門はいかにも、といった様相で訪れる人間を圧倒する。その下を通り抜ける藍色のセーラー服の少女達に混じって、栗色の髪を背中まで伸ばした少女はまじまじとその門の柱を眺めていた。まるで博物館からそのまま持ってきたような古めかしい黒鉄色のそれはところどころ錆びており、縦横無尽にはしる傷は単純に長い年月を思わせる。
 同時に、老年のシスターがその皺だらけの顔を更に深く刻ませた表情で、その門を潜り抜けるならば云々と、これまた古めかしい単語を並べて生徒達に話していたのをぼんやりと思い出す。あれは眠かった。けど頑張った。えらい。
 うんうん、と一人頷いているのを周囲の生徒は何事かと思いながらも、何事もなかったように少女の横を過ぎていく。騒がず謙虚に涼やかに。呪文のように繰り返されるそれは相応に効果があるらしい。静々と、といった調子で朝の登校時間は過ぎていく。
「おーいっ、美希ー!」
 校門前で挨拶を交わしていた少女達が一斉に振り向く。羊を集めればそうであるように毛並みの違う人間はどうしたって目立ってしまうもの。房の大きいポニーテールを元気に揺らしながら、美希と呼ばれた少女の隣まで駆け寄る。いったいどこから走ってきたのか、僅かに肩を上下させながら、その額には汗が光っていた。周囲の生徒の表情からしてあまり褒められたものではないが、小麦色の肌に向日葵を思わせる笑顔にはとても似合っていると美希は思った。
 校門前でジロジロとした視線を送ってくるおばさん先生のそばをそそくさと通り抜けると、長い一本道が緩やかなカーブを描きながら続いてた。コンクリート脇の花壇にはツツジの木が植えられ、更にそれを囲むようにのっぽな生垣が校舎まで行儀良く並んでいる。コンクリートの歩道はいつのまにかレンガ道に代わっていて、中庭に通じる小路から見えるバラに囲まれたアーチを見たときには、美希といえどもどこか眩暈を覚えた。
「おちついたな」
「なにが?」
「かみ」
 ポニーテールの少女が自分の頭を指差して、やっと美希は自分の頭から伸びるものだと合点する。「大丈夫か?」なんて怪訝な目を向けられることには慣れっこだけれども、この学校に慣れるにはしばらく時間が必要のようだ。さきほどまで通った道を振り返ると、もう校門は見えなかった。

 盤台学園付属女子高等学校。西東京では名の通ったこのお嬢様学校は、その古めかしさとは裏腹に時代を迎合することでその荒波を乗り越えてきた。大正期に女子の教育と独立を掲げて生まれた後、二度の戦争を経て経営母体を西洋の宗教法人に鞍替えしたのも戦後のドサクサに紛れてのもの。平成に入って訪れた不況の際は、早々に近隣の市立大学と合併。政財界にも力のあるOGの協力もあり、今や八王子の隣に位置する南霧古市は学園都市の様相となっていた。
 盤女の女子なれば強かたれ。
 誰も口にはしないものの、歴史と共に積み上げられたその言葉は重い。涼風のように飛び去っていく年頃の少女達を戒める、丁度良い重りなのかもしれない。かもしれない。かもしれない。
「なぁんて、クドクドと言われた日にはイヤでも覚えるわよぉ」
 少しカールしたツインテールの髪先が頭の動きに合わせて揺れる。両肩をすくませるわざとらしいリアクションも、少女には妙に似合っていた。
 お昼休みに満面の"つくった"笑みで近づいてきたこの少女の対応に、どうにも美希は困っていた。憶えてる? なんて美希にとって一番苦手なところから切り出されたものだから、いまいちピンときていない顔に相手の方が音をあげる。
 少女は朝比奈りんと名乗った。元東豪寺プロのアイドルで、今もテレビで活躍している東豪寺麗華とは一時、ユニットを組んでいたとのこと。
 大仰な身振り手振りで説明されて、それでも首を傾げる美希にりんは肩を落とす。そりゃそうよね、と話を戻した彼女は、まだ誰が座っていたのかも分からない椅子に腰を下ろした。30人ほどの生徒が集まるこの教室もお昼休みで半分ほどしか残っていないが、誰もりんと美希の周囲には近づこうとしない。それを一瞥して、りんは意地悪く口の端を持ち上げる。
「仲良くしたいなら声でも掛ければ良いのに」
 え? といつのまにかボンヤリしていた意識を戻す。面白くないのはりんの方で、「どうしちゃったのよ」と、片側の眉を持ち上げた。
「アイドルん時だって、もうちょっとハキハキしてたわよ? それがなに? 燃え尽きちゃったってやつぅ?」
 それはそれで楽しいのか、美希の前の席に腰を下ろした彼女は、組んでいた黒い薄皮に包まれた脚をこれまたオーバーな振りをして組みなおす。少し乗り出してくるりんに、美希は窓の外に視線をうつした。口から自然に出た「分かんない」という言葉は春の陽気に乗って空に飛んでいく。
 久々に訪れた五月の校舎は懐かしい、と思うほどのものでもなかった。
 765プロに敗れ、961プロから移籍して一年。思いのほか時間がかかってしまった。出戻りしたことで方々の人間に迷惑をかけたことを謝り通した一年は、思い返そうとしても殆ど覚えていない。それだけの一年。
 ぼんやりとした視線にりんはため息をつく。そこには幾分か、同情の意味も入っていたのだけれど美希はおろか、りんにも分からないことだった。
「なによそれ。つまんない」
 りんが呟いたところで午後の授業は始まったのだけれど、教師の声に早速ウトウトと、美希は船を漕ぎ始める。考えても仕方の無いことを、美希は改めて実感した。


 放課後にはりんと携帯電話の番号とアドレスを交換した。
 そういえば部活は? と聞いてきたものの、次の瞬間には「聞いた私が馬鹿だったわ」と、自己完結された。りんの言うとおり帰宅部なのだけれど、それはそれで悔しいと思うのは筋違いなのか、そこまで美希は考えていないけれど、なんとなくで口を尖らせる。
「なによ? アンタ、別に裁縫とか興味ないでしょ?」
 サイホー? と妙なイントネーションに、りんがやっぱりねとばかりに首を振った。
 なんだかんだでりんの部活を見学することにした。なんでも部室棟というものがあるらしく、校舎から伸びる渡り廊下の先にある煉瓦壁に赤い屋根という、なんとまあ可愛らしい見た目にまたも眩暈を覚える。いつから自分はこういうものに免疫が無くなったのか不思議だけれど、言われるままに観音開きの扉を片方ずつ、二人で開いた。
 旧校舎をそのまま部室棟として改築した、というのはりんから聞いた話。ケンチクホウという単語が耳の直前まで入ってきたけれど、古めかしい木の香りに思考を飛ばす。二階へと昇り、いくつかの部屋を通った後、手芸部と銘打たれている部屋へ入る。本校舎の教室よりもやや手狭な部室には畳一枚ほどの作業台が何台も置かれ、台の上には生徒達が持ち寄った色鮮やかな裁縫道具が並んでいる。一昔前のミシンがガタガタと軽快な音を鳴らせば、キャイキャイとした女の子特有の明るい声が場を華やかなものにしていた。
 あのミシンから伸びている、足で踏んでいるものはなんだろう。相応に興味を示している美希に、よく知った声が届いた。
 変えたんだね、美希ちゃん。
 その声は美希が背中を向いている先、開かれた扉から発せられたもの。あんなに賑わっていた少女達が一斉に黙る。一瞬だけ、美希の体がビクリと揺れる。それを振り払うように振り向くと、萩原雪歩がいた。「やっぱり美希ちゃんだ」と、髪をかきあげながら見せる柔和な笑顔。どこか、女性としての色っぽさも感じられた。
「言ってくれれば良いのに」
 ニコニコと遠慮なく近づいてくる彼女には以前の、いつもオドオドと人の顔色ばかり伺っている姿は感じられない。堂々としてさっぱりしてて、もしもタイムマシンで昔の雪歩が来たら、まず間違いなく自分の姿を見て信じられないとばかりに卒倒するだろう。
 髪、と美希は自分の頭を指差す。少しだけハテナを飛ばすもののすぐに雪歩は合点したのか、綺麗な色ね、と微笑んだ。正解に近いのだけれど、ちょっと違う返答に美希は続ける。
「雪歩。伸ばしたんだね」
 言われて、「私の方ね」と肩をすくめる雪歩。肩口まで伸びた髪がサラサラと、窓から入ってきた風に遊ばれる。少しくすぐったそうに髪をかきあげる動きを、美希はマジマジと見てしまう。1年ほど会っていないだけでこうも変わるのか。先ほど褒められたばかりの自分の髪の毛に手が伸びていたことに気づくと、美希はパッと手を後ろに回した。
「雪歩もサイホー?」
 サイホー? と繰り返す雪歩にりんが「裁縫」と訂正する。「ああ」と、両手を叩く雪歩はかぶりを振る。確かに部活の先輩にしては、周囲からの視線の異様さに美希は気づいていた。アイドルだった頃の輝きはとうに失われていたがそれとはまた別の、見た目以上の凄みが感じられる。こういう感覚だけは自信のある美希も、その奥底にあるものがいまいち分からなかった。
 サドウブ、とまた聞きなれない単語に美希は小首を傾げる。「お茶のこと」と雪歩が付け加える背後でりんが天井を仰いだ。
「それで、何の用なの?」と、他の部員全員を差し置いて美希はあっさり口にする。そういうところは変わってないね、と少し困ったような雪歩が笑って返していると、また生徒がざわつき始める。明らかに雪歩たちとは別の方向を向いていたので、その視線を追うとこれまた懐かしい顔が見えた。
 マコト先輩だっ。美希の隣にいた生徒があわあわと、分かりやすく顔を紅潮させてゆく。耳まで真っ赤にしたかと思うと、周囲の生徒たちと手を取り合ってキャーキャーと黄色い声。まるで男性アイドルでも来たかのような反応は相変わらずだけれど、爽やかに返す真の態度は以前よりも堂に入っていた。
 王子が通った道の後、一定の間隔を保って女生徒がぞろぞろと群れをなしている。りんが思ったことをそのまま顔に出しているような表情を浮かべていたが、王子が来る頃にはいつもの笑顔に戻っていたことには美希は感心した。
「なんだか勢ぞろいだね」
「真ちゃん、来てたんだ」
 雪歩の問いかけにも、うんっ、とサッパリとした受け答え。それだけでなぜか周囲からは悲鳴なんだか歓声なんだか、良いとこのお嬢様とは程遠い声が上がる。いつの間にか部室の外にも生徒が集まっており、騒ぎに気づいた先生方が怒鳴りに来るのにそれほど時間はかからなかった。

 ごめんね、と言う割にさほど悪気は感じられない真に雪歩はクスクスと笑っていた。その二人に、りんと美希を加えた四人は周囲からの視線を伴って中庭へと移る。咲き頃を過ぎつつあるつつじの庭園。少女達にはやや背の高いつつじの木は、中央の噴水の縁に備え付けられている二人用のベンチに座ればすっぽりと姿を隠してしまう。
 秘密のおしゃべりにはピッタリ。そう思うのも束の間、周囲を校舎で囲まれているのに気づいて、四人を見る生徒達の頭に美希は辟易した。
「美希も元気そうだね」
 花の香りがふんだんに入った風が、真の髪を揺らす。少年のようであった彼女の髪型も、今は以前の雪歩や小鳥ほどには伸ばしており、身長も僅かながらに伸びているようであった。髪質のせいか、丸みのあった雪歩や小鳥とは対照的にストン、とおりたような髪型も真には似合っていた。
 真くんこそ。美希がそう返すと、それこそ校舎の窓から待ちわびている少女達のイメージ通りに「そう?」と、微笑む。それだけでキャー、という声援が聞こえるようで、というか聞こえて。雪歩と座っていたりんが彼女の膝の上を越えて身を乗り出してくる。
「卒業したのにどうしてここへ? 菊地先輩?」
 訊ねるとりんはチラリと、雪歩へと視線を動かしたような気がした。特に変化の見えない雪歩に、かえって美希は疑問を覚えたが、それを口にする前に真が「番組の企画でね」と、答えた。
 アイドルが卒業した母校に訪れて在校生と一緒に何かをする企画、と真は説明する。期間はアイドルによってまちまちで、今回は文化部合同で記念のオブジェを作るということで期間は二ヶ月弱。学校側への配慮もあり、撮影は定期的に、局側が決めた台本どおりに進められるとのこと。
「ボクは一度、オブジェにケチをつけなきゃいけないんだって。ほとんど手伝ってないのにさ」
 今も美術部が主導となってオブジェは作られているようで、ご来賓の真は汚れるからいけないと丁重に追い出されたらしい。それを聞いてまた、雪歩がクスクスと笑う。
「たったいっこ上なのにね」
「ボクは運動部所属だったし、そこらへんの扱いに慣れてない人が多いんだよ。部活も三年の時は出てないし。後輩たちとは雪歩の方が慣れてるでしょ?」
「私だって同じ。みんな、おっかなびっくりで接してくるだけ」
 柔和な笑顔で雪歩は周囲から覗く顔の群れを見渡す。美希もその視線を追いかけると、真の時と同じように騒ぎ立てる者もいれば、わざと顔をそらすような生徒がいることを見逃さなかった。また雪歩へと視線を戻すと、その横顔の儚さに驚く。雪歩がアイドルを辞めて一年。その一年が彼女をどう変えてしまったのか、雪歩を鏡写しにして自分を眺めていたことに気づくと、美希はかぶりを振って思考を戻す。対岸のベンチに座るりんから訝しげな目を向けられたが、つつじを見てごまかすことにした。
 おもに雪歩と真の、近況報告にも近いおしゃべりはりんが部活へ戻るまで続いた。

 りんと一緒に部室に戻ると、今朝、挨拶をかわした響がいた。こちらが声をかけるよりも先に「おう!」と、人懐っこい笑顔を向けてくる。りんはどうにも恥かしいのか、「そんな大きな声あげなくてもいいですから」と、彼女に詰め寄る。響もそれが面白いのか、むくれる後輩を相手にあれこれと茶々を入れる。意外にも、といったらなんだが、先輩らしく振舞う響に目を丸くしていると、はいさい! とこちらにも挨拶してきた。あの頃からほとんど伸びてないであろう小さい体に揺れるポニーテールと、変わらない元戦友に先ほどの二人を思いかべて、どこかホッとしてしまう。
 じゃれあいをしている二人に近づくと、やはり周囲からは少し距離を取られていることに気づく。こういうのは慣れっこなので気にしないが、距離をとる人々の視線が主に二人に集中していることには首を傾げた。いっそのこと聞いてみようかと思ったが、響の方が先に口を開いた。
「オマエも入るのか? 手芸部?」
 美希が? と横合いからりんが口を出してくるが、美希は「わかんない」と率直に返す。響もそのあたりは分かっているのか、「そっか」と、そっけない返事。美希の身長が伸びたことで幾分、低い位置にいる響は本当に何も変わってないように見える。もちろん一緒にアイドル活動してきた仲間が何も変わってないわけなんてありえないけれど、変わっていないことを望むのはいけないことなのか、やっぱりそこまで美希は考えてないけど、当時とそのままのやり取りに安堵した。
 しばらく手芸部にいることにした美希に、周囲の人間が話しかけてくることはなかった。部屋の隅にある椅子に腰掛けながらぐるりと教室を見渡す。それぞれ仲の良い生徒達同士で固まり、いそいそと手元に集中しているグループもあれば、ただお喋りに興じているグループもいる。やっぱり響とりんは二人のままで、今は黙々と手の中のものに夢中だ。自分の手の中には何も無くて、いつのまにか遊ばせていた両手の指を解いて立ち上がった。
 部室の壁には生徒達が作ったのであろう作品が貼られ、色鮮やかに壁を彩っている。その中の一角、四方20センチほどの白い布地に花を刺繍したものに目が留まる。作品そのものが気になったというより作品の下に小さく『我那覇 響 作』と銘打たれていたからであり、あの彼女にしては随分、繊細なものを作るのだなあ、とその時になって思った。
「ああ、我那覇先輩の」
 背後からりんが現れ、真横に立つと「綺麗よねえ」とりんらしくもない、しみじみとした口ぶりに少し吹き出してしまう。当然、なによ、と言わんばかりの視線がこちらに向けられるが、彼女も自分で分かってるのか、「私だって素直に褒めることくらいあるわ」と、ふんっと猫のようにそっぽを向いた。
「響のって、こういうのが多いの?」
 右から左に、視線を動かして響の作品を追うと、その大半が白い可憐な花で埋め尽くされていることが分かる。りんもそれは気になっていたのか、「ああ、それね」と、どこか引っかかったような言い方だった。
 それがね、とりんは続ける。
「先輩って年季入ってるからさ、手が早いのよ。貼り出されているものより、もっとずっと作ってるんだけど表に出さないっていうか。そりゃ、全部出してたらキリないんだけどさ……ああそうそう、ここにはないけど私の写メに残ってるのあるわよ」
 りんが高校指定のサブバッグを置いた机へと戻るのを目で追うと、真剣な面持ちの響が見えた。その手には針と白い布。おそらくこの壁に飾られているものと同じようなものを縫っているのだろう。りんが戻ってくるまでの間、目の前のものに没頭する響を眺めていた。
 戻ってきたりんが携帯電話の画面をこちらに突き出してくる。見ると、確かにそこには響の縫った作品が写っている。先ほどまで見ていた綺麗で可憐な花と同じもの。違うのはその花の傍ら。茶色い塊が布の一部に居座っている。その塊には四肢らしき足が突き出し、真っ黒いグルグルの目にギザギザとした歯が特徴的な刺繍。おそらく動物であろう何かが縫いこまれていた。
「いぬ?」
 美希が尋ねても、りんは肩を竦めるだけだ。
「さあ。先輩に聞いても動物としか答えてくれないし、そりゃ動物ってのは分かるんだけど」
 二人して響の方を向くと、それなりに満足したのか、手を止めて自分の作品をまじまじと眺めている。すぐにこちらの視線に気づき、満面の笑みで近づいてくる響に尋ねるタイミングも失い、その日はそれでお開きとなった。

 美希、と呼ぶ声に振り向くと響がこちらに駆けてくる。今朝と似たような状況だけれど、今はもうあの門を出ようとしているところ。さすがに先生も立っていないからか、周囲の生徒も和やかに談笑しながらの下校風景が続いていた。丁度、門を潜り抜けようかというところで、今朝と同じように響が声をかけてきた。
「先に帰るなら言ってくれれば良いのになー」
 響は美希の隣まで追いつくと、息を整えるのもそこそこに喋り始める。部活のこと、学校のこと。さっきも感じたことだけれど、その明るい口ぶりに美希は安心する。765に移籍して、響はここ一年ほどアイドル活動を休止していた。黒井社長を一番信頼していたそれは信奉に近く、あっさりと捨てられた痛みに彼女は耐えられるのだろうか。自分のことは棚に上げての心配も杞憂に終わり、逆に強く照りつける夕日に染まった、屈託のない笑顔に浮かぶ美しい陰影に返す言葉を見失ってしまう。
 どうしたんさ、と聞いてくる響に美希はかぶりを振る。なんでもないわけじゃないけれど、それはこちらが聞きたかったこと。「ふーん」と、こちらを見上げる瞳から逃げるように顔を上げると、もう夕日がビルの間に埋もれようとしていた。

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